寝台特急カシオペア「さよなら」乗車記


第4章「さようならカシオペア」

朝。カシオペアから望む最後の朝。
すでに列車は東北南部を走行していた。



撮り鉄でなんどか訪れた地を車窓に映しながら、豪華寝台は着実に現実に近づいていた。
朝食も当然ながら1時間以上前から並び、無事ありつくことが出来、ほぼやり残したことはなくなっていた。
後はカシオペアの車窓からの眺めを心に刻むだけである。
宇都宮まではロビーカーで彼方に過ぎ去る景色を大パノラマで眺めながら、
宇都宮から先は自室へ引き取って、有名撮影地で撮影に挑む撮り鉄たちに手を振りながら、時間は過ぎて行った。
そしてとうとう最後の車内アナウンスの時を迎えてしまったのである。
っていうかなんか表示間違ってません!?



いつだって旅の終わりはさびしい。ことに寝台列車のそれは痛みすら伴う。
それを味わうのもこれで最後かと思うと、不本意な手段だったが乗れて本当に良かったと思った。
こうしてカシオペアは10数分の遅れをもって上野駅へと到着したのである。
本来はこの場所から旅を始めたかった。上野は帰る場所じゃなく、出発する場所だよね。
もう二度と体験することはないんだな・・・。

上野駅の13番線の一部は北海道であると誰かが言った。
ほんとその通りだよ。ホームに降り立ってもなかなか乗車の興奮は消えなかったもの。
JRはなんでこんな素晴らしい列車をなくしてしまうのだろう。
団臨化されたとしても、もうそれは私が乗ったカシオペアじゃない。ただのお大臣様専用列車だ。
きっとそこには旅情は薄れてしまっていることだろうな。
だからこそこの1泊2日の記憶を大切にしたい。

最後の最後、土壇場に乗れたこと、乗るために最大限の努力と妥協をしたこと。
そしてそれだけのことをする価値がこの列車にはあったこと。
それだけを伝えたくて、今回乗車から半年近く時間が経ち、EF510は貨物の牽引機として活躍をはじめ、
カシオペアはクルーズトレインとしてEF81に牽かれて走行している今になって筆を執ったのです。




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